私の推しを聞いてくれ

社会から逃げる

良かった。今日も味がする。コロナに当事者意識をもつには

リモートワーク5日目。少々飽きはじめた。

いつもはあんなに非効率だと思っている出勤、出社が
恋しいまである。

順調に整いはじめていた生活リズムが、順調に崩れつつある。
のそのそと起きる10時。
10時は少し早い。

ドキドキしながら朝ごはん(昼ごはん)を用意し
一口目を食べて安心する。

 

「良かった。今日も味がする。においもする。」

不要不急とはなんなのか

空とビル

そう思いながら、食べるものを調達しに
マスクをつけて外にでる。

街にはマスクをつけずに歩くお年寄り。
喫茶店で会話を楽しむ夫婦。

私が毎日見ているテレビやSNSは、フィクションなのだろうか。

それとも、私が生きている世界がフィクション?

それでもやっぱりトイレットペーパーは品薄で、
残念ながら全部ノンフィクションのよう。

きっとあの船が停まっていた場所も、
あの病院がある場所も、
みんなの家からそんなに遠くないはず。

それなのに、
当事者意識というもののなんと難しいことか。

それは震災時でもそうだし、
平常時に起きているすべての問題も同じことで

当事者ではない

人と町

という限りは、当事者意識をもつことは非常に難しい。

毎日毎日Instagramでインフルエンサーが流してくれる情報をみて
動画をみて、
事態の深刻さを知る。

テレビで流れているニュースをみて、
事態の深刻さを知る。

それなのに、どこかパニック映画を観ているような気持ちがこびりついて
離れない。

アルコールを入手して、マスクを買って。
そこまでしても、やっぱりなんだかフワフワしている。
当事者ではない限り、当事者の気持ちにはなれない。

たとえば、

「もし身内がコロナになったら?」
「愛する人が、感染したら?」
そのために、できる対策をしよう。

たしかに、そう訴えかけることは当事者意識をひきだす
有効なたとえ話かもしれない。
たとえ話というよりは、近い将来への注意勧告。

でも、そんなことを頭の片隅において
人々は外へでていく。

未だに出社しなければならない人もいる。

日本は、日本人は頭がおかしいのか?

コロナでも出社しなければならない会社を、どうして辞めないのか?

人には人の、さまざまな事情がある。

仕事は辞められないし、外出もやめられない。
その人が働かなければ、私達の生活が止まるかもしれない。
もしくは、その人にとってその遊びが、

なによりも大事なものだったのかもしれない。

「いつまで自粛が続くのだろう」

「このまま遊べないのはつらい」

「この状態でなんで出社しなければならないの?」

そう思うのならば、そう思うからこそ
全力で思考しなければならない。

この状況にうちひしがれて、落ち込んでいる場合ではなく

こんなに家にいて、考える暇があるのだから。

「家でどれだけスキルアップができるだろう?」

「在宅でどれだけ仕事を楽しながらできるだろう?」

「ゲームをしながらタスクをこなせるのでは?」

「いまだからこそ、YouTubeをはじめよう!」

「これを機に、上司にもの申してみよう」

「会社や政治に疑問をもった、なんとかできないか?」

「めっちゃお菓子食べよう」

コロナを意識するには、どれだけ自分の人生のメリットに切り替えられるか。

どれだけ、「この苦境を乗り越え、そしてコロナと共存」
しながら強く生きていくか。

絶対的に生きて、好転させていくか。

たてもの

当事者意識をもてないのであれば、全力で思考して
全力で動かなければならない。

恐怖や危機感がその肌に感じられないのであれば、
息をするように非常事態に慣れよう。

明日は家で映画見て、鱈腹ちんすこう食べて、英語の勉強して
いっぱい寝る。

きっと12時まで寝る。

ちょっとだけ意識が高い日の記録